日本古傳風姿無想会は宗家である田中普門が日本古来の様々な武士道文化と伝統を伝承し、 先人が遺した知識を未来に活かす知恵と発想の原点とする目的を以て設立されました。
日本古傳風姿無想会の活動は日本のみならず欧米から中近東諸国まで世界的に活動の場をひろめ、日本の歴史から古神道、仏教哲学、 武術の実技に伴う武士道文化と哲学などを指導しています。
古傳圓心流は戦国時代に京都御所の北面ノ武士であった犬上左近将監永勝(いぬがみさこんしょうげんながかつ) が剣術と柔術を融合させて兵法組討剱傳圓心流と称したのが始まりです。 古傳圓心流では刃渡り三尺三寸(90cm)以上から、さらに長い物を使用するのが伝統の決まりであり、 現在では刃渡り三尺三寸から四尺三寸までの大太刀を使用して稽古しています。
南北朝時代の頃、薬師丸隆真(やくしまるりゅうしん) は折れた薙刀の柄だけで足利尊氏の軍勢と戦い、敵を片っ端から打倒しました。 薬師丸の働きを大いに喜ばれた後醍醐天皇は「汝の働き鬼(かみ)の如くよ」と称賛し、 薬師丸は姓を九鬼隆真(くかみたかざね)と改めました。 九鬼神流棒術は薬師丸隆真の折れた薙刀の柄だけで戦った働きを起源として生まれました。
半棒術は六尺棒を半分にした三尺(90cm)ほどの棒で行う武術です。 織田信長の家臣、栗山右近が太刀で斬り落とされた鑓の柄で敵を打ち倒したと伝えられ、 この時の栗山右近の働きから半棒術として流儀に伝承されました。
圓心流居合剣法は江戸期文政時代に小橋庄兵衛が神道無念流と古傳の圓心流と融合させてできた烈しい剣法に、 大正時代になって小橋日感(写真:右)が八流儀の長所を取り入れてを完成させた剣法です。
圓心流の据物斬剣法は武士道に基づく介錯剣法であり、刀の切れ味を試すためし切りではありません。 圓心流据物斬剣法では斬る対象物を縛り付けるなど固定しません。 固定されていない自由自在の据物を武士道の面目にかけて斬るのが流儀伝統の掟です。
天眞兵法は遠く南北朝時代に始り、南朝の武術として発展し、戦国時代から豊臣秀吉の頃には熊野の九鬼水軍や鳥羽の九鬼水軍で研鑽がなされたと云われています。 その後、九鬼家の門外不出の武術として伝承されてきました。
天眞兵法では古代からの占星術、戦術の陣形、築城、薬草、古神道、妖術、陰陽道などを根幹とし剣術、 槍術、薙刀、棒術、半棒術、投剣、忍法と膨大な指導体系を伝承しています。
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